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テレビがウチに来た日

 今年の残暑は格別であった。

 家族達から『鉄よりも強い体』と絶賛されていた私だったが老年期に入ると、今年の暑さは答えた。
 彼岸の前になると、子供の様に扁桃腺を腫らして三十九度の熱を出し、青菜に塩の状態だった。
『病は気から』とはよく言ったものだ。
 心が落ち込むが、風邪薬のお蔭で睡魔が襲ってきた。
 私は睡魔の導きで夢の世界に入り込んだ。
 亡くなった祖母と現在の私は、我が家の居間で仲良く、テレビを見ていた。
 
 私は好物だったひえた麦茶を取りに台所に行き、戻ってみると、居間の扉の前で、はっとした。
 私を愛しみ育ててくれた、伯父や伯母達が、祖母を取り囲みテレビを楽しんでいる。
 私は驚き夢から覚めた。
 天井の木目を見詰めて、まだしっかり目覚めていない脳裏をフル回転させてみた。
 約五十五年前に同じ体験をしていた。
 福岡県八幡市(現在北九州市八幡西区、東区)は、高度成長の波に乗り活気に、みなぎっていた。
 人々の生活は裕福になり、町一番のアーケード商店街には家庭電機店がひしめき合う。
 各店舗では、呼び込み屋が競いあっていた。
 現在の商店街は悲しいかな、今は廃墟同然である。

 祖母を筆頭に、私の親族は『あたらしもん好き』である。
 祖母は老人会の帰りに、商店街に立ち寄り各家電メーカーのパンフレットを持ち帰った。
 その日の夕食後、テレビ選びの検討会となり、大人も子供達も大賑わいしたのを、思い出す。
 伯父の権限でテレビを客間に置くと決定すると、祖母や伯母らは、客間の掃除に励んだ。
 
 待ちに待ったテレビは客間の床の間に置かれた。
 テレビには、あずき色のコール天の幕の裾には黄金色の縁飾りがあった。
 その日は誰の誕生日でもないのに、ちらし寿司とカステラが客間の座卓を飾った。
 食後、伯父が上機嫌で、テレビのスイッチを入れた。
 突然、祖母が拍手をすると、皆もそれに習って夢中で拍手をした。
 幼子心にワクワク、ドキドキして、顔を紅潮させた自分がそこに居た。
 NHKのニュース番組が流れ出すと歓声が上がった。私は小躍りして親戚を出迎えた。
 テレビには、偉大な力があった。
 叔父の帰宅時間が早くなり叔母をよろこばせた。子供達は、宿題を早く済ませて、ルンルンで家事の手伝いに励んだ。
 毎日、祖母の老人会の仲間達は、テレビを見に、手土産を持って日参した。私は手土産を楽しみに、玄関で満面の笑みでお迎えした。
 
 現在の家電会社の下落を知ると天国の祖母や叔父は「頑張らんかい!」と激怒するだろう。

-fin-

2012年10月課題

『家電製品』についてエッセイを書く。

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