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かまへんて、かまへん、かまへん。

  リビングの庭先から隣に通じる裏木戸を、潜(くぐ)り抜(ぬ)けると、目の前に広がる光景に、美登里は「はっ」と息を呑む。
 昨夜の雨の雫(しずく)にまみれた、額紫陽花の青紫の花弁(はなびら)に木漏れ(こも)日(び)が降り注ぐと、なお一層、紫陽花は妖(よう)艶(えん)さを増した。
 美登里はその美しさに魅了されていると、背後から「おい、美登里! 忘れてはるで。ほれ、これ、これ」
 美登里の夫である徹は、近頃、和食弁当作りに嵌(はま)り、町役場の休日には料理本を片手に、台所を占領していた。
 そんな徹の作る料理に美登里は満足した。
 リビングのテーブルの上に、置き忘れた弁当の入ったバスケットを徹は、美登里の目前に突き出した。
「ああ、堪忍お父さん! 貴方のお手製の出し巻きは、叔母ちゃんは大好きやで。美登里より味付けがええなぁやて」と、美登里は笑顔で徹に感謝の意を伝えた。
「ほうか。でも俺は春子さんが苦手やなぁ。あの冷たい目がぞっとするわ。おい、ベランダに出てきはったで! ほな、春子さんによろしゅうに」と、小声で言うと、慌てて裏木戸に消えた。

 南隣に自宅がある叔母の春子は、毎日、姪の美登里から介護の世話を受けている。 
素直な美登里の姿を見て、春子は心の蟠(わだかま)りを今日、美登里に話す覚悟をした。
美登里は、長椅子に腰を掛けている春子を見つけると子供のように手を振り、頭(こうべ)を右側に傾ける仕草を見せた。
 それを見ていた春子は「まぁ。お姉ちゃんと同じ癖や」と、呟き笑う。
 三十五歳になってもどこか幼さが残る美登里は、徹の手作りの弁当入りのバスケットを大事そうに小脇に抱え、急ぎ足で春子の座るベンチに到着した。硬(かた)い表情で、春子は言う。「あんたに話があるんや。ここにお掛け」          
 それは、春子の愛娘のユキと美登里の見合い話が発端であった。
 春子の亡夫の親友からわが息子の嫁にユキをと申し出があり、小躍りして喜んだ矢先、亡き姉の娘美登里に、財産家である森総合病院の長男の見合い話を叔父が満面の笑みで持ってきた。姉の死後、母親代わりの春子の内心は穏やかではなかった。急(せ)かす叔父を待たせ、和ダンスの中に、準備してある書類封筒を、春子は確認もせず渡した。
「何で、美登里やろ。ユキの方が容姿はええのに。きっと、ユキと間違えてはる」と、春子の親の顔が覗く。そして、ユキの釣書と写真が入った書類封筒をテーブルに置き、中の写真を取出し開き見ると「あっ」と春子は小さく叫ぶ。
 彼女は慌てて写真を置くと、叔父に連絡を、玄関口まで急ぎ足で行き、電話の受話器を取ると、少し考えて大きく溜息を吐く、そして受話器をゆっくりと置いた。
『もし、相手さんが間違いに気付いたらどうにでも言い訳すればええ』と考える。
 その三日後、森家の長男自身からユキの勤め先にデイトの誘いがあり、春子に似て、見え張りのユキは心から喜んだ。
 すると、春子は亡夫の親友の息子と美登里の見合いを進めた。
 お蔭で無事、我愛娘と可愛い姪は、『女の幸せ』を掴んだのだ。
春子は話終えると、美登里の手を握り「堪忍してなぁ。堪忍え」と泣き崩れた。
「そやったん! かまへんて。うちは、幸せやで。間違えて良かったわ」
 美登里は春子の肩を抱き涙ぐんだ。

-fin-

2014年7月課題

『間違えた』をテーマにフィクションを書く。

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