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私の心の宝物「冬の星座」

 真冬の凍てつく空気が冷気を含むと、冬の夜空の星のきらめきが、なお一層冴えわたり、人々の心を魅了する。
 今夜も厳しい寒さの中、見上げる星座の輝きは、ため息が出るほど素晴らしかった。それに伴い私の唇から思わず、♪木枯らしとだえてさゆる空より 地上に降りしく くすしき光よ ものみないこえる しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる♪
 『冬の星座』の歌を口ずさみ、伯母を思い出して頬を濡らした。
 
 三歳で七五三祝った直後、両親の離婚で北九州市の父の実家に引き取られた。
 その夜、不安に慄き泣きわめく私を、伯母弥生は背負い裏庭から木戸を抜けて町はずれの広場に出た。
「ほら見てごらん! 綺麗やろ。あのお星さま。香代のお母ちゃんもきっと見とるよ」というと、伯母のソプラノ独唱が始まった。
 澄み切った夜の冷気に、響き渡る伯母の美しい歌声を無視して私は泣き叫んだ。それでも伯母は歌い続けた。
 その結果、私は伯母が歌う『冬の星座』を子守唄と受け入れて伯母の背で眠る習慣が付き、私は『ひっつきぼのカヨ」と、年長の従兄姉たちは皮肉って笑った。
 おまけに祖母まで「泣き虫のうえに伯母ちゃんのひっつきぼのカヨに、なってしもうて、可愛げのない子やねぇ!」
「この子の気持ちはとても傷ついとるよ。お姑(かあ)さん、私達がカバーしてやらんといけんとです」
 伯母の少し強い口調で祖母に言い返した後、私を急かせて背負い、足早に家を出た。
 その夜の星座は、キラキラといつもより光輝いていた。
 伯母の歌声はいつも違って悲しく泣き声だったように聞こえた。 
 不思議なことに私の脳裏にしっかりと祖母と伯母の会話であろうという内容が残っていた。
 私の味方はこの人だと子供心に感じたに違いない。
「よう、お前は本家の弥生姉さんに可愛がられたのう。あの人は歌が上手かった。毎晩、窓を開けて夜空を眺めて、俺は聞き惚れとったばい」と、父の三回忌に出席していた一番年長の従兄が笑った。
 
 私は最後に、伯母と星座を見たのはいつだったのだろうかと、思い出のページを巡ってみた。
 早春の朝、本家の従姉から伯母が大腸癌で余命三か月と連絡があり、腰が抜けるほど驚き悲しんだ。私はすぐ北九州に帰省した。
 病院のベットに座る伯母は笑顔で私は迎えてくれた。
 昼を過ぎると、伯母の娘である従姉の咲子が見舞いに訪れた。久し振りに、母と娘達のように姦し(かしま)く喋りまくった。
 伯母の希望で屋上に上がると、澄み渡る夜空の星の輝きの下で、伯母を二人の娘達が鋏むと、ベランダの手摺りに身を任せて「冬の星座」を合唱した。
 伯母の歌声は昔のままの美声であった。
「カヨ! 子供は多く産んで、大家族のど真ん中でいつもニコニコしておる肝っ玉母さんになってね。あんたの子供時代は寂しかったけ、伯母ちゃんのお願いよ」と笑った。
 私はよく笑う、四人の子供の肝っ玉母さんとなった。

-fin-

2015年3月課題

『年齢を重ねた現在の自分が最も美しいと思うもの』をテーマにエッセイを書く。

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